へびいちご

伊藤忠弥
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 毒々しい濃赤色の実を選んで摘み取り、ぼくは口いっぱいにヘビイチゴを頬張った。十一歳の初夏の頃。
 校庭の合歓の木には妹が好きだったピンクの花が満開だった。彼女が好んで描いたおとぎの国のピンクのバク、の長い睫毛のような不思議な花。
 ヘビイチゴは真っ赤に熟していたのに、青くなる前の白い未熟なイチゴのような、甘くも酸っぱくもないぼそぼそした食感をしていた。ぼくは躊躇わず、ひとおもいに呑み込んだ。
 どれだけ畦道にしゃがんでいただろう。見上げる空には羊たちの群れが何処までもつながり、風がぼくの前髪を揺らした。
 ぼくはイチゴのような真っ赤な血を吐いて死ぬはずだった。
 母は迷信を鵜呑みにしていたのだ。
 口元を拭うと、掌が無駄に紅に染まった。

        ***

 日曜の午後の田んぼ道、土手の熟したヘビイチゴの実を美味しいよって、偽って妹に食べさせた。妹は縁日の真っ赤な金魚のように口を開けて、嬉しそうに頬張った。
 母が妹の口を抉じ開け、果実を指で掻き出し、噛み砕かれた果肉は背中を叩きながら吐き出させた。
 ぼくは初めて母にぶたれた。母の手はよく撓う鞭のようで、頬に熱いものが走ったかと思うと、左側だけジーンと痺れてぐにゃぐにゃに膨張した。耳の中でクラス中の嫌な連中がトライアングルを狂ったように鳴り響かせていた。ぼくは自分の痛みより母の動揺に驚愕した。ぼくは取り返しもつかない事をやってしまったのだ。
 妹は初めはきょとんとしていたが、二人のうろたえぶりに驚き、大声で泣き出した。妹が死んだらどうしよう。ぼくも声を上げて泣いた。

 大丈夫!全部取ったから。
 唾を吐きなさい。ぺって。
 そうそう。もういっぺん吐いて。
 苦しい?
 そう、もう大丈夫。
 白雪姫みたいに、すぐに良くなる。
 毒イチゴはあっちへ飛んでった。

 妹が出来るまで、ぼくは一人っ子の鍵っ子だったから、孤独な遊びに慣れ、孤独と友達だった。そんなぼくの王国に妹は無邪気に裸足で入り込み、乳と蜂蜜の付いた掌でべたべたとそこらじゅうを撫で回し、舌足らずにぼくを呼び、追い回した。
 妹はいつもは母にべったりと纏わりついているくせに、母がいないとぼくの後を仔犬のようにクンクン鼻をいわせながらついてきた。

 どうしてだろう。ぼくは不意に妹に悪さをしたくなる。

 その年の夏妹は溺死した。
 ぼくが殺した。

          ***

 何か変な臭いしないか?って友人がぼくの部屋に這入ってすぐに鼻をひくひくさせた。いや、ぼくが先回りして、訊いたのだ。
 友人は怪訝な顔をして、部屋を見渡し、寝乱れたベッドや、汚れた食器やグラスがそのままになったシンクを見やった。
 ぼくはハッとした。不用意だった。しまったって。けれど友人はまだ気付いていないみたいだった。ぼくが気にしていた臭の在り処はその方向ではなかったから。
 悪いな。散らかってて。何処かほかで呑まないか?
 ぼくは友人を部屋には上げず、ショルダーバックを掴むと外に出た。
 午後の日差しは黄色みを帯び、黄昏への予感を漂わせて、電信柱の影が長くぼくの足元に伸びていた。ぼくは黙って友と肩を並べて歩いた。

 ぼくは自分の遺体を押入れに隠してあった。
 それは勿論在り得ないことだし、夢に違いなかった。けれどありありと腐乱していくぼくの身体の臭いを嗅いだのは事実だった。だから悪夢を打ち消すために押入れのノブに手を掛け、呼吸を整えて静かに扉を開けたのだ。
 そこにあったのは衣装ケースに入った季節外れの衣類や、客用の寝具、段ボール箱から溢れ出した書類やがらくた類。
 もしそこにぼくの遺体があったら、ここにいるぼくはどんな存在なんだろう。
 馬鹿な話だけれど、ぼくはその日以来何処かでびくびくしていた。押入れから腐乱臭が漏れ出ている気がしてならなかった。

 少し痩せたんじゃないかって、友人が心配した。
 このところ寝不足なんだ。眠りが浅くて、変な夢ばかり見る。
 昨日見た夢の続きを見たり、夢の中で自問自答したりして、夢なのか現実なのか時々わからなくなる。
 友人はぼくがどんな夢を見るのか知りたがった。彼はまったく夢を見ないらしい。眠りが深いから、やすやすとバクに食べられているに違いない。

 兄貴がさ、すぐ帰って来いってうるさいんだ。今度の土曜日付き合ってくれないか?って友人が頼んだ。
 久しぶりだからお前にも会いたいって言うんだ。いいだろ?
 何故ぼくまでって思ったけれど、断れるわけがない。ぼくにとっても彼らは家族と同じだったからだ。

 おふくろが去年からどうも様子がおかしいらしいって話、したよな。一度迷子になってから、外出しなくなったらしい。
 その日もいつもの公園沿いの道を散歩していて、気持ちがいいからもう少しって軽い気持ちで、気付くと知らない町にいた。そこは何時しか黒い運河沿いの道で、そのうち日も暮れてくる。怖くなって早足でもと来た道を引き返したが、見たこともない堤防に遮られて先へ進めない。
 何時の間にか大きな十六夜の月が煌々と出ていて、箒を逆さにしたようなケヤキの根方で心細くなってただただ泣いていたんだって。
 すると何処からか童女が現れて毬を撞きながら数え歌を唄う。その歌詞は聴いたことがあるようだけれど思い出せない。童女は時折股の間に毬を潜らせながら、両手で器用に毬を操ってケヤキの周りを楽しそうに回るので、わたしにも撞かせてって、おふくろが言うと毬を差し出して手招きする。
 立ち上がって歩み寄ると、月明かりで伸びたケヤキの影から今まで隠れていたおふくろの影が現れて、童女が嬉しそうに駆け寄り飛び跳ねて、
 今からあなたがオニ!って、おふくろの影を踏んだ。

 近々わたしは死ぬに違いないっておふくろが言うんだ。
 そんなの夢を見ただけだって兄貴は笑いとばしたんだけど、見たこともないサッカーボールを抱えていてぞっとしたって。
 それから母は誰かが一緒じゃないと外出しなくなった。

 ところが、しばらくして兄貴は締めたはずの裏口の鍵が時々外されているのに気付いたそうだ。おふくろに問いただしてみても知らないって言う。けれどおふくろの外套から夜の匂いがするんだって。

 いいだろ。今度の土曜日。
 何故だろうな。お前や、お前の妹のこともよく話すそうだ。お前に会いたがっているっていうんだ。

          ***

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テストを兼ねて、以前書いた未完の作品を投稿してみました。
40行、明朝体に設定してあります。
エディターは普通TeraPadを使っていますが、
改行されるので、お勧めできません。
Windowsに標準装備のメモ帳が今のところ一番相性が良いみたいです。
こんな風に表示されます。
誠子さん、手本の作品を投稿してください。

感想文の書き方から勉強しなくては、と思っているのです。
未完らしいですが面白く読みました、途中から話し手が変わっているようですが手法なのでしょうね、ショルダ?バックは伊藤さん 森さんの必需品。
  妹に木苺ふたつ採ってやり   良智

太田君。ちゃんとコメントできていますよ。
あとは新規ブログ作成だけですね。
太田君の環境でも縦書き表示は正しく表示されていますか?
反応がないので実は心配しています。

辻征夫が仲間の詩人十人ばかりと、
本気で遊んでいた句会のことを書いていて、
(見つけました。出典は現代詩文庫続・辻征夫詩集の「遊びごころと本気」です。)
昔、ちょっとやってみたくもなったりしましたが、
浜名湖で道子さんが太田君に語る、
強烈な寺山修司批判が耳に入ってきて、
これは素人は迂闊に手を出しちゃいけないと実感しました。
道子さんから「俳句、連句にしてみんなでやりませんか?」
と誘いはあるのですが、
わたしはしばらく見るだけにします。
太田君やってください。

サインインできない。
との、誠子さんからのメールで、
再度ここにサインインの仕方を書くことにします。

サインインのIDとパスワードは管理者が発行したものが必要です。
メールでIDとパスワードは発行いたします。
管理者に任命された方々のみ、ログイン後自分の好きなIDとパスワードに
変更が可能です。
ただし変更後は自己責任で管理してください。

わたしが発行した2行のIDとパスワードは
すべて半角小文字です。
ユーザー名に1行目のIDを、
2行目がパスワードに該当します。

IDとパスワードはメモ帳にコピーすることを薦めます。
IDは確認可能できすが、
パスワードは・・・にマスクされるため、
確認できないからです。

***重要***

初期IDとパスワードは
すべて半角小文字です。
エディターによって全角や大文字に変更されていないか確認が必要です。
また行頭、行末には空白はありません。
コピー&ペーストするときに、
空白が挿入されていないか、脱字していないか確認が必要です。
発行された文字数と、・・・の文字数を確認してください。

マウスのカーソルを行頭にポイントし、
BackSpaceキーを押して変化がなければ行頭に空白はありません。
次に行末にマウスのカーソルをポイントし、
Deleteキーを押してください。
変化がなければ行末に空白はありません。

この段階でダークブルーのサインインのボタンをクリックすれば、
サインインは可能なはずです。

行きの電車中でたくさん書きましたが枠に入りきれずどこかに行ってしまいました。ヤレヤレ。

初めての投稿で「うまく行くのかナ」と少し心配。この小説冒頭に「合歓の木」が出てきますが、ちょうど今頃ですよね、花が咲くのは。昨年、母親の介護で毎日通ったR306、鈴鹿山脈山頂付近の大君ケ畑集落で、ところどころ淡く咲いていたのを思い出しました。僕もほとんど夢を見ないのですが、バクにやすやすと食べられているのだと、この小説を呼んで分かりました。「おふくろの外套から夜の匂いがすんだって」の表現、散文の中なのにこれほどしっくり滑りこませるとはと、感心しました。

わたし一人はしゃいでいては見苦しいと、
撤退するつもりでいました。
良因くんも参加してくれて、嬉しいです。
休み明けの今日は気が変になるほど忙しく、
やっと今、処理を終えたばかりです。
これからしばらくこんな日々が続くことになりそうです。

良因くんの作品も読んでみたいです。
メールでわたしに送って下さい。
ワードの添付ファイルでもいいですし、
テキストメールに貼り付けてくれてもいいです。
タイトルをつけ、
原文のまま貼り付けて下さい。
見やすいように、改行などしないで下さい。
楽しみにしています。

こんにちは。「へびいちご」感想です。

仮に「へびいちご」のA層を以下の引用の地平。
「毒々しい濃赤色の実を選んで摘み取り、ぼくは口いっぱいにヘビイチゴを頬張った。十一歳の初夏の頃。」
「ぼくはイチゴのような真っ赤な血を吐いて死ぬはずだった。
 母は迷信を鵜呑みにしていたのだ。」

B層を以下の引用の地平。
「日曜の午後の田んぼ道、土手の熟したヘビイチゴの実を美味しいよって、偽って妹に食べさせた。妹は縁日の真っ赤な金魚のように口を開けて、嬉しそうに頬張った。」
「その年の夏妹は溺死した。? ぼくが殺した。」

C層を以下の引用の地平。
「何か変な臭いしないか?って友人がぼくの部屋に這入ってすぐに鼻をひくひくさせた。いや、ぼくが先回りして、訊いたのだ。」
「ぼくは自分の遺体を押入れに隠してあった。? それは勿論在り得ないことだし、夢に違いなかった。けれどありありと腐乱していくぼくの身体の臭いを嗅いだのは事実だった。だから悪夢を打ち消すために押入れのノブに手を掛け、呼吸を整えて静かに扉を開けたのだ。」
という3つの層に区分けするとして、
A層とB層のつながりはもちろん明確で、<ぼくの母の「迷信」>でつながっています。
そして、AB層と、C層をつなげる「迷信」は、「ありありと腐乱していくぼくの身体の臭いを嗅いだ」につながるものだと思います。
このC層の「迷信」表現は、ゼロ年代(2000年)以降の、ものの書かれ方とクロスしていくところなのだと想像します。C層の「迷信」表現が高らかにうたいあげられるだろうこと、とともに。では乾杯を。

小埜寺くんが参加してくれたのは心強い。
感想ありがとうございます。
前作で限界を感じたので、
(自分はもう終わってしまった世代の手法、
書き尽くされた古いテーマしか書けないのではないか?)
今回の作品はあくまで縦書きのサンプルとして載せました。
このように表示されるよと。
なのでタイトルも仮につけました。
ただ表示させてみると、続きを書いてみようかなと思ったのも事実です。
小埜寺くんの感想を素直にエールとして受け取ることにします。

P.S
私自身movabletypeの特質を理解してはいないのですが、
空白行、ブランクをコピーすると、
?に文字化けすることは経験しています。
「その年の夏妹は溺死した。? ぼくが殺した。」
隠してあった。? それは勿論在り得ないことだし、
の、?も実はそれではと、思った次第です。

現役プロの編集者がコメントするとは、アマチュア最強の森千代和氏にも頂きたいものです。
 俳句のほうは依頼してある文化人よりとりあえず2句届いてます。

太田君主催で、句会を開いたらどうでしょう。
期限を定めて太田君へメールで句を送り、
太田君が無記名でそれらの句を一覧形式で、
ブログへ投稿します。
太田君だけが作者を知っていて、
他の者は本人の句だけしかわからない。
これは誰の句か忖度しながら採点、評価する。
これがよく外れるんだと、
誰かが書いているのを読んだ気がします。
そして定めた日に、作者をすべて公開する。
これは連句にも応用できるかもしれない。
メールを利用すれば、ブログでも句会はできる気がします。
俳句はよく知らないので、
見当違いならごめんなさい。

やっとサインインできました。ぼくの心象風景が、散文詩のように語り始めるヘビイチゴの世界。わたしはもっと知りたい。「不意にわるさをしたくなる」妹は、どんな少女だったのか? 「その年の夏、妹は溺死した。ぼくが殺した」そこに、どんなヒミツが隠されているのか? 書き続けて欲しい。私は親から聞かされてきた「迷信」を信じて生きてきたのに、ヘビイチゴを食べても死なず、むしろ甘酸っぱい香りがする部屋の扉がこの世にあると知ったのでした。ひょっとして、妹が溺死したのは、その扉を開けてしまったから、といつもの妄想が蠢きだしました。書き始めたら、最後まで書く。モデルになってくれたひとに感謝しながら、作品として仕上げる。それが、わたしの信条になりました。

ちゃんとアップできていますよ。
やっと誠子さんの登場だ!
もう代返もいらなくなりましたね。
感想ありがとうございます。

「鍵のかかった部屋」について書いて下さい。
わたしはもうすでに変になっている忙しさで、
寝る前にやっとこんなコメントができるくらいなのです。
これで4人(私を除いて)揃った。
嬉しいです。

イトウさんへ。私がこの13年、あるかいどの師として付き合ってきた高畠氏の言葉を。「人のしないような体験をしてきたから、小説が書けるものではない。体験そのもののなかには、他者がいてもそれは都合よく消え去り、記憶のなかに他者が残っていない。だから、体験が自分の前にくっきりと立ち上がらないのだ。自己のなかの他者と出会うことによって小説が成り立つ。だが他者とは地獄である。因果なことに、自分のなかにいる他者を見ないと文学は書けないのである」。地獄ばかり、この世で見てきた私は、せめてあの世ぐらい天国へと思うのですが、高畠氏は「あんたもおれも地獄行きやな」と。書くことは、業そのものですが、今まで見えなかったを見ることができる新しい世界でもありました。書いていきましょう。他者という地獄を見て生きてきたのだから。

水谷くん程ではないですが、昔少しは仏典とか読みました。
地獄絵は太宰ではないですが、少年時代わたしも衝撃を受けた。
それに比べ、天国の描写はあれはなんですかね。
あれが天国なら別に行きたくもない。
地獄だって別に怖くはない、とういうか覚悟しているし、
生きるが地獄って思っている。
亡者の列に混じってだらだら地獄へ彷徨っている夢を見たことがあります。
老人もいれば、小さな女の子もいて、崖に面した荒地を登っていました。
みんな無口でぼく等は地獄へ行くのだとぼんやりと考えていた。
でも今思うに、登っていたのだから、あれはひょっとすると天国だったかもしれない。

ぜひぜひ「じごくのそうべえ」と「そうべえ、ごくらくへいく」という田嶋征彦さんの絵本を読んでみてください。四歳になる麻子の長女は、うちに来るたび、この二冊を「読んで」ともってきます。こりゃ、天国より地獄のほうが面白そうと、ゆきちゃんもおかしなばあばも思ってしまう。そんなことを踏まえ、あるかいど49号に「石になった男」を書いたら、散々でした。ぜんぶ、さかさにひっくり返すと、おもしろい世界が見えてきたりして、もっと自由に、さらに自由にを求めていこうと、還暦女はばあばになっても、「フリーダム!」と叫んでおります。
?
?

 反応が早いですね。
facebookをやっているみたい。
 田嶋征彦さんの絵本今度図書館で借りてきます。
 このように、字下げもできますし、
改行もできます。
??が2行あるのは空白行を2行コピーしたためと思われます。
いろいろ試してみてください。

関東は梅雨明けしたそうです。
こちらも明けたのかな。いい天気です。
庭ではセミが鳴きだしました。

以前「めびうす」という小説を構想したことがあります。
メビウスの輪のパラドクス。
表が裏であり、裏が表である世界。
表と裏は対立するものでも断絶するものでもなく、
奇妙に捻じれながら続いているのです。
夢かうつつか幻かではなく、そこでは、
夢は現実であり、現実は幻なのです。

またまた酔っ払って失礼します。「奇妙に捻じれながら続いている」に、触発されて。「石になった男」より。
「僕は醜く太った自分を想像した。クソクラエ。叫んでも届かない言葉を、僕は腐った脳ミソへ一列に並べた。クソクラエの五文字を転がしたら、「エクソクラ」になった。ククッと笑ったら、「ククエソラ」になり、漢字を当てて「苦苦空へ」。もひとつ転がして、「糞藏へ」。次々と言葉を逆さにしては、僕の時間を閉じ込めた。上が下。光は闇。内は外。善は悪で、悪は善。生は死で、死は生。生きていながら死んでいる。死んでいるようで生きている。僕はやけくそになって、どんどん繋げていった。今の僕は僕でなく、物語のなかの僕が僕。空を見ることができる。それが、僕。僕の物語はいつも僕のなかにある」
 反省を繰り返しながら、また書いてしまう。これは幻なのか、現実なのか。キムラ酔女

キムラ酔女さま。
やっと帰還しました。
「僕の物語はいつも僕のなかにある」は
わたしの「わたしが死ねば世界は終わる。」と、
対になっている気がして、共感しました。
言葉遊びを駆使して谷川俊太郎風に、
軽やかにユーモラスに行くのもいいと思います。
酔女さまはモーツァルトが好きな割に、
悲しみを重苦しく引き摺っている気がして。

イトウさん、コメントをありがとうございました。モーッアルトの旋律は、嘆きを押し付けることなく、純化され浄化された悲しみがどこまでも美しく響いてきます。わたしは、押しつけるように嘆き節をばらまいてきました。浄化されることをひたすら願い
ながら、13年寝たきりの姉のことを「石になった男」でやっと
作品にすることができました。「僕は水一滴飲むことができない
喉の奥へ、言葉を飲み込んだ。僕に残されたもの。それは、誰にも届かない言葉だった。いっそ虫になっていたら。僕は思わずに
いられなかった。飛ぶことができる。這うことができる。仲間の
死骸ですら喜んで食っただろう。ベッドの下に隠れることだって、林檎をぶつけられて死ぬことだってできる。だけど、僕は
石になったのだ。石に自由はない。その場所でじっと動かない。
それが、僕だった」序破急のラストで「ひかり」が見えたときは
書きながら、自分が救われた気がしました。調子にのって、またまた書いてしまいました、お許しを。モーッアルトに一ミリでも近づいてから死にたいと思いながら、性懲りもなく今夜もものがたりの世界へ。キムラ酔女

 忘れてしまいたい辛苦、悲哀をどうして、
何度も何度も思い出しては皿を舐めるように
味わい尽くさなければならないのかわからなかったものでした。
 牛の反芻なんですよね。
 呑み込めないものは、何度も何度も咀嚼しなければならないのが定め。

それこそ、色を持たない多崎つくるの世界ではないかと思いました。「おれは内容のない空しい人間かもしれないと」思っていた
つくるが、「すべてを受けいることができた」と感じることが
できたのは、長い咀嚼の末でした。「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く
結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって
繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない」わたしが一番、摑まれたのはエリと再会した場面で、つくるは真の調和がそこにあることに気づいたときです。ほとんど死ぬことだけを考えて生きてきたつくるが、ようやく辿りつくことができた居場所です。つくるが五人の調和の根底にあるものを知り得た時間まで、わたしは歩き続けるしかないかっ。なあんちゃって。

ジャ?ン 第一回ネツト句会のはじまりです。
まずはル?ルを、うまいな-共感できるな-句を2句選んでください。そしてこれは2回目からと思ったのですが1回で終わる可能性があるので一言文句有りの逆選も1句選んでください尚逆選は無しでも構いません。選句は太田まで携帯メ?ルで宜しく。例 正選 ? ?
    逆選 ?    こんなふうに。

? 走る子のほほをかすめる青田風
? 城跡と言われてみれば雲の峰
? 紅まだら粥跡削る小正月
? 内緒話れもんの闇は青しずく
? まぐろしか食べられない!明日も晴れ
? 蝉時雨鍋底を這う院の庭
? 雷雨過ぎパッションフル?ツ芽を伸ばす
? 宿酔や箸置きの鮎ポケットに
? 伸びをしたビルマの猫をぎゅっとね
? 炎天に混じる色なし影を踏む

原稿用紙に書き写して 悩んで下さい   世話役

PS  とりあえずこのコ?ナ?借ります。

太田君
とうとうネツト句会始まりましたね。
おめでとう。
折角なのでブログ作っときました。
?は空白文字だけかと思ったら、半角のーもなるみたいですね。
句の頭の?はひょっとして機種依存文字の数字じゃないかと、
番号を振りました。違っていたら編集してください。

被害がでるほどの大雨が降っているようですが、こちらは(大山信仰が近い小さな村?)は曇り空のままで雨は降らない日曜日でした。ベランダに桔梗と吾亦紅が咲いています。
さて、俊ちゃんがとりまとめてくれた第1回句会(投句作品)には、いいなあ、好きだなぁと思える句があまりありませんでした。もちろん、自分の句も同様です。「かすめる」じゃあ、お粗末で、時間切れでだしたことを後悔していました。
 しっかり勉強したことはないですが、歳時記や句集を読むことはありました。いまもできるだけ歳時記を開こうとしています。五七五の、短いことばのなかに、どれだけ自分のことばで表現ができるか、苦しいけど楽しい。楽しさを増やすために、少しルールも勉強していきます。おかげで、ちょとした日常の風景が、五七五になって頭のなかでぐるぐる回っていることが増えました。すぐ、ノートに書き留めて、あとから俳句にしてみて、順番を変えたり名詞や動詞を整理、自分の思い入れを削除してみたり触っているのも楽しいです。情景を詠むだけで終わらないで、作者の気持ちがこもった「ことば」でぐっと深まって、味わいが高まると、いい句だなあ。うまいなあ、と感心したりします。
たとえば、  吾亦紅信濃の夕日透きとほる(藤田湘子)
       吾亦紅高原に来て心澄み(若木一郎)
       神小さきものに宿れば吾亦紅(岩岡中正)
 NHKテレビテキスト買いました。わかりやすい」!投稿もできます。ここから、はじめます。(わーっ、素直!)
       ま、いつかこんなふうに作ってみたい!
ところで、先週銀座の鳩居堂で準備した「写経」を、初めて書いてみました。約2時間。なかなか無心にはなれません。大見さんが書いてくれた詩の大作が、どれだけ時間がかかったものかやっとわかりました。ありがとう。伊藤さんの過酷な仕事のさなかで作った句は、想念の作品?ちょっと、自分から離れてことばをさがしてみたらいかがでしょう?だなんて。
 残暑厳しいおり、みなみなさまのご健康をおいのしています。
               8月25日  タムラミチコ

ミチコさんが揺れているのは分かります。
しかし写経が最も無心になれる行為だという、
寂聴になりたいとも思わない。
わたしは自分から離れるなら表現はしないでしょう。

暑中見舞いのメールが来て
「疲れすぎると真面に頭も働きません。
俳句などの短文が向いているのかもしれない。」
その次に、
「たぶんわたしには俳句は向いていないようです。
俳句の優良の基準がわからない。
いじればいじるほど悪くなる気がします。」
と、返信に以下の句を添えて出しました。

最初の句から数えて7首
やっぱりわたしには俳句は向いていないようです。
みなさんにもわかるよう、無知な素人の句をお見せします。

炎天に忙殺されし蝉の脱殻

雑草強し酷暑の庭

枯れ樹は伐り倒すべきか酷い夏

投げ落とししは我が子か炎天の階

体は器か何かが漏れている

カラダハウツワコボサヌヨウニオトサヌヨウニ

炎天の陽炎カラダは己のものか

今まで何の批判もないのは、ほんと淋しい。

俳句がわからないところは、
歳時記や句集をデータベース化し、
季語を選べば任意の句がパソコンで簡単にできるのではないか?
という疑問でした。
たかだか五七五文字ですから。
これには様々な反論が予想されますが、
心底では合点できない。
わたしは失格なのでしょう。

ただこの夏、自分の生の感情や感覚だけで、
自由律の句ができるのではないか?
こんなジャンルがあっていいのじゃないかと熱にうなされたのは事実です。

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このブログ記事について

このページは、伊藤忠弥2013年6月28日 22:59に書いたブログ記事です。

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